契約社員からの大脱出

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地元の高校を卒業し、
自動車産業の盛んな隣町の部品工場で、契約社員として、
ライン作業に従事する日々。


他に出来ることもなく、
毎月の給料のために、日々淡々と過ごしていました。


そんな毎日に疑問を持つことなく。


ライン作業の中には、重量物を運ぶ工程があり、
中学生の頃の部活が原因で
発症したヘルニアが徐々に悪化していきました。


そんな簡単に仕事は休めず、
しばらくは騙し騙し、通院しながら
痛みと付き合っていましたが、
遂にひとりではベッドから起き上がれなくなりました。


当時の若い私にとっては、
体の痛みと付き合って行くということが
どうしても受け入れることが出来ず、
一生この痛みと付き合って行くと思うと絶望的になり、
毎日 酒に溺れました。



ある日、学生時代の友人から一通のエアメールが届きました。

一言、
 「お前も日本の狭い社会でくすぶっているなら、
          思い切って海外に出てみろよ!」

そんなメッセージが、心に響きました。

     「ヨシ!
          俺も海外を見てやろう!」


先ずは、少しでも健康な状態で出発したいと考え、
ステロイド注射、リハビリを続け、
少しずつ、良好な状態を保てるようになっていきました。


当時の私はもちろん海外旅行になど行ったことはなく、
旅をするうえで、何が必要かもわかりませんでした。


そんな中、
地元で輸入雑貨店を営む先輩に、
現地で必要なもののアドバイス、
在留資格申請などビザ関連を手伝ってもらいました。


「若いうちに海外へ行ってこい!」

私の背中を押してくれたもう一人の恩人。


右も左もわからず、
ドキドキしながら降り立ったブリスベン空港。


何とか入国手続きを済ませ、
エアメールの友人の迎え。
友人の車で、少し南のバイロンベイへ。


お金が無くなったら、帰ってこよう程度の考えで、
わずかばかりのお金しか持っていませんでした。

海外が経験出来たら
オッケーぐらいの軽いノリで出かけたことを覚えています。



数日間友人と過ごし、すぐに別行動になりました。
私は長距離バスに乗り、丸一日半かけて 北へ。

ケアンズの街でシェアハウスの部屋を借りました。


3ヶ月もすると、
すぐに資金が尽き、街を出て、田舎の農場で働く羽目に。


私にとって、コレが良かった!


農業高校出身の私には、学生時代の経験が役に立ち、
他のワーカーたちより、作業の進め方がわかっていました。

それにより外国人ワーカーから
(この場合私が外国人ですが)
話しかけられることが増えました。


そこで、言葉の壁にぶつかったのです!


今までは、
他のワーキングホリデーの日本人と話していればよかったのが、
英語で会話をしたい!
気持ちを伝えたい!
との感情が日に日に増していきました。


目の前の世界は広いのに、
自分はその中に入れないことが本当に悔しかった。


そうこうしているうちに、1年の在留期限(当時)が近づき、
私はもう一度飛び込んでみる決断をしました。


留学生ビザへの切り替えです。


語学学校を経て、
結果として、3年間を海外で生活することになりました。


帰国後は、
語学を活かした海外営業という職に就くことができ、
東南アジアをはじめ、
北米など世界各国を仕事で訪れることが出来ました。


私が海外で経験できたことは、
私にきっかけをくれたすべての人に感謝します。


同時に、
知らない世界へ飛び込んでみた自分の勇気、
先ずは一歩踏み出してみた、私自身にも感謝しています。


この経験を、
私は自分の子どもたちに伝えていきます。


世界がもっと身近になり、
いち地球人として、
物事を捉えていけるように 
家族とともに成長していきたいと考えています。



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